子供たちの教育機会をつくる
porterraまなぶ基金
このプロジェクトのきっかけとなった張学の名前から、当プロジェクト名を「まなぶ基金」と名付け活動しています。
写真で見た一人の少年
ある日、中国人の友人と食事をしていた時、彼女の故郷にいるという一人の少年の話になった。彼女の故郷は治全村というとても貧しい場所だという。その少年は親を亡くし、おじいちゃんと2人暮らし。しかし、そのおじいちゃんも病気で体の自由が効かず、生活に必要な最低限の稼ぎを得ることすらままならないとのこと。しかし、そんな状況でもその少年は科学者になりたいという夢を持ち懸命に生きているという。その少年の名は張学(ジャン・シュエ)。
村の熱烈な歓迎
私は何故かそんな張学に一度会ってみたいと思った。そこで、実際に村を訪れてみることにした。上海から列車で18時間かかって着いたその村は中国の急激な成長から取り残されたように、大きな町から遠く離れた場所にひっそりとあった。中国人の友人が事前に日本人がわざわざ村を見に来るということを伝えておいてくれたようで、村長までもが出迎えをしてくれた。そして、その中に写真で見た少年、張学がいた。
張学という少年
村長を含め遅めの昼食をご馳走していただいたあと、張学と散歩へ行くことにした。初めての外国人だからか、彼は初めとても恥ずかしがっていたが、徐々に話してくれるようになった。張学はこの治全村で生まれた。母親は張学が幼い時に突然家をでていき、父親も彼が7歳の時に病気で他界したということをお気に入りの銃のおもちゃをいじりながら教えてくれた。普段は張学のおじいちゃんと一緒に暮らしているが、おじいちゃんも病を患い、身体が不自由であるという。あとから村長たちから聞いた話ではあるが、家賃だけは政府が負担しているが、張学の家庭は食料を買うのがやっとで、学費は村長の働きかけで村が負担しているという。しかし、その支援もいつまで続けられるか分からないという。いつ張学への金銭的支援が打ち切られるか分からないのだ。そんな生活でも、張学は夢を持っていた。それは科学者になること。彼はこちらが恥ずかしくなるくらいに、目をキラキラさせながら希望に満ちた表情で「科学者になりたい!そして、登らなくていい滑り台を作りたい」と言った。
村の現実
その後、村長がわざわざ村まで呼んでくれた政府関係者の人も交えて、村の現状について話をする機会があった。そこで知ったことは、この村には張学以外にも多くの子供たちが金銭的な問題で学校に通えず、十分な教育を受けることができない現状があるということ。
支援内容
張学のように家庭の経済的な問題により学校に通えない子供等の授業料、修学旅行等の学校行事にかかる費用を学校へ直接支払います。
updates
活動報告
2023年10月に張学に会いに行ってきました。家庭の事情により現在は襄阳という場所にある村で生活しています。張学が通っている学校の先生方にもお会いしてきました。
カメラを向ければ笑顔を見せてくれる張学ですが、複雑な家庭環境のせいか自宅ではほとんど感情を見せず、話すこともありません。学校でも内気な性格で友達はあまりいないということですが、担任の先生のおかげもあり徐々に馴染んできているとのことです。定期的に訪問し、私たちとしてできることを考えながら、張学をはじめとする子供たちの成長を見守っていきます。