【旅ブログ】カンボジア|Shiori
旅の動機
最初は世界一周するつもりだったが、一つの国の一都市だけを見て、その国を知ったような気持ちになりたく無かったから。せっかく行くのであれば、しっかりとその国を見てみたい。その気持ちから、浅く世界一周するよりも、深くアジアの国を周りたいと思い、アジア集中の旅の仕方へ変更。1カ国で3箇所回ったり、主要都市は全部回ったりした。
遺跡群の中
Episode.1
アジア最悪のルートとアンコールワット
私の価値観が変わったと感じる国があって、そこについてお話しようかと思います。
おすすめの旅行先を教えて欲しいという理由から「もう一度行きたい国はどこですか?」という質問はよく聞かれるんですが、楽しかった、面白かった、という観点ではない部分で言うと、想像とは違って行ってよかったと思ったのがカンボジアなんですよね。
カンボジアは大学生のNPO・NGO団体のボランティア活動で行く国としてよく名前を聞きますが、最初は「貧困」っていうイメージがあって。
カンボジアの首都とアンコールワットに行きたかったので、シェムリアップとプノンペンに行くことにしました。 まずアンコールワットのあるシェムリアップから行ったんですが、タイから陸路でバスに乗って行きました。
ーー陸路で行ったんですね!
そうです、アジアの中だと、タイからカンボジアにいく国境って最悪のルートって言われているんです。
詐欺とか、犯罪が横行しているルートなんですよね。
陸路で国境を渡る時にビザを取るんですけど、ちゃんと仲介業者を選ばないと騙されて違う部屋に連れて行かれて、「ここを通りたかったら全額だせ」とか「今持ってる有り金だせ」って言われることがあって。
ーー怖いですね。
友人のなかにはそのような被害に遭ったっていう子がいたんですけど、私は特にそういう目には合わず、そのまま無事に陸路でカンボジアに入国しシェムリアップにいって、アンコールワットに行くことができました。
ーー陸路でカンボジアに入った時の印象はどうでしたか?
タイからカンボジアに入った瞬間の、荒廃具合がすごくて。
「現代なの?」っていうくらい、道路はもう全然舗装されていないから土埃がすごいし。
通って行くときに、タイを朝ぐらいに出て、シェムリアップには夕方くらいに着く予定だったんですけど、夕方になるにつれてだんだん暗くなって行くんですよね。もちろん外灯とかもないし、建物に電気が通ってないところが多いので、家がバーっと並んではいるんですけど、もうどんどんどんどん暗くなっていくんです。
人が住んでいる形跡はあるから廃墟ではないんですけど、なんかこういう生活をしている人がまだこの現代にいるんだって思って。テレビとかでみて想像はできていたけど、実際に生で見ると衝撃でした。
そのままシェムリアップの市街に入っていきましたけど、シェムリアップの市内も、ほんとに数キロ圏内だけが栄えているんですよ。一歩、そのエリアから出るとすごい貧困地域で。 アンコールワットって華々しい印象があるからその落差に衝撃でした。
ーー確かにアンコールワットだけが切り取られがちなので、その豪華なイメージが先行してしまっているかもしれません。
でもアンコールワットから見た日の出はすごく神秘的で綺麗で、これは本当に見ておいて良かったなと思いました。
写真で見たことがある光景だから知ってはいるんだけど、実際に行って見てみると迫力がすごくて、鳥肌が立つってこのことなんだなって思いました。その遺跡が持つ背景もあると思うんですけど、今までの歴史のなかで培われた迫力なんだろうなと思いました。
アンコールワットの日の出
Episode.2
史実から背けずに向ける目
シェムリアップから出て今度は首都のプノンペンに行ったんですけど、プノンペンって何があるかあまりイメージが湧かないですよね。
ーー名前はよく聞くけどって感じですね。
そう、何もないんですよ、プノンペンって(笑)
私がプノンペンに行った理由なんですが、クメール・ルージュって聞いたことありますか?
カンボジアで30年くらい前に起きた大虐殺を起こした政治勢力のことなんですが。
大虐殺の現場のひとつがプノンペンにあるトゥールスレン(通称S21)という政治犯収容所なんです。
そのとき虐殺された人っていうのが、頭がいいと思われていた人たちなんですね。
というのも、当時クメール・ルージュを率いていたポル・ポト政権は、「知識は人々の間に格差をもたらす」という考えから、医者や教師、学生の虐殺から始まり、さらには「眼鏡をかけているから」「本を読んでいるから」と言う理由だけで強制収容され、その結果最大200万人(※諸説あり)もの国民が殺されてしまったんです。
実はその前にシェムリアップでも、キリングフィールドという大量虐殺の現場だったところに行ったんです。
キリングフィールドには、虐殺された国民の頭部の骸骨が大量に並べられています。その現場では約2万人が殺されたそうですが、その骸骨が今でも収容されて、並んでいます。また、キリングフィールドの中にはキリングツリーという有名な木があります。
大量虐殺のとき、大人だけでなく赤ちゃんも殺しているんですよ。
そのとき、赤ちゃんの足を持って頭をギザギザとした木の幹に打ち付けて殺したので、大量の血や脳みそが飛び散ったそうです。そうして多くの赤ちゃんが殺されてしまったんです。 その木がキリングツリーとして残っているんです。
そんな大量虐殺が行われていたキリングフィールドの庭ではポルポト政権下でずっと使われていた歌が大音量で流れていたそうです。
なぜ大音量で流れていたかというと、殺される人たちの悲鳴をかき消すためだそうです。
そしてキリングフィールドには大きな穴も残っていました。それは、収容された人たちが掘った穴で、何の穴だったかというと、そこで殺された人々を埋めるための穴なんです。虐殺された2万人の犠牲者が埋められていたそうで、24ヘクタールの面積に129の墓地が作られていました。墓は死体から出たガスのせいで盛り上がり、辺りには酷い悪臭が立ち込めていたそうです。
今でも骨の一部が埋まっていて、敷地内を歩いていると骨が出てくる場所もあります。
ーーかなりむごい現場ですね。
それがシェムリアップのキリングフィールドというところで、もうひとつは先ほども言ったプノンペンのトゥールスレン(S21)です。ここは元は学校で、それを収容施設に変えたところで、ここでは知識人階級、外国人住民、ベトナム系住民・公務員・宗教指導者らを標的にしていたそうです。
いろんな虐殺の方法が館に提示されていて、生々しいですが虐殺された人たちの遺影も飾られていて、実際に収監されていた部屋とかも展示されているんですけど。
それがもう、本当に衝撃的でね。。
ーーどうしてそうした現場を訪れようと思ったんですか?
本来は行く予定がなかったんですよね。そういう場所が苦手で。例えばナチスドイツの強制収容所とか、暗い歴史や背景があるじゃないですか。そういうのを見て見ぬふりをしてきた人生で、暗いニュースや暗い現実を見ても落ち込むだけであまりいい気分になれないからと、避けてきた人生だったんです。
でも、旅して回っているうちにそれぞれの国の歴史や政治の違いで、生活の貧富があったりするのを実際に目の当たりにするようになったんです。
そのときに、現実をみることで自分の未来とかこれからの人生における判断とかが変わってくるんじゃないかと思って。まずは知ることが一歩かもしれないと思って、それで行ってみようと思うようになったんです。
ーー実際行ってみて、どうでしたか?
あまり見てこなかった現実だけど、ほんの数十年前にこういう虐殺が起こったと考えると、なんか他人事じゃないなと思ってしまうんですよね。ひとつ、生まれる場所が違ったりとか国が違うとそういう境遇にあった可能性もあるんだなと思うし、今後日本がどうなっているのかわからないけど、何かあったときにこういう現実が自分たちにも起こりうるかもしれないと思うと、やっぱり自分の生活のことや国のことに関心を持っておかなきゃなと思うようになりました。それこそ選挙に行かないっていう人がまだ多いですけど、私もそこまで積極的ではなかったのでこれからは動かなきゃなと思ったんですよね。
プノンペンのS21
Episode.3
旅を通して気づいた本来の”幸せ”
ーーカンボジアの大虐殺の現場跡地をめぐって、日々の行動の変化などはありましたか?
そうですね、政治に対する関心も強くなりましたし、社会問題にも関心を持つようになりました。何を深く考えるようになったかというとそれは答えるのが難しくて、知る前は大して何も考えていなかったのが、普通に考えるようになったっていうレベルかもしれないです。
でもニュースとか、世の中の問題とかにも敏感になるようになったし、日本人として生まれて日本で生きていく幸せとか、日常のありがたみを感じるようにもなりました。
なんか良くも悪くも日本人って国の政治とか、社会問題に関してあんまり関心がないじゃないですか。最近SNSとかで世界のニュースなどが流れるようになってからはそういう情報に関心を持つっていうケースが増えてきたかもしれませんが。
けど、元々はそんなに強くないと思うんですよね。っていうのは、平和だからだと思うんですよ。政治に関心がないっていうのはある意味日本の平和さという良い部分がもたらしたことかもしれないし、それが悪い部分にもなっていると思うんですけど、だからこそ色んな国を回っていて、日本のありがたみを感じたんですよね。もちろん、良い部分もあれば悪い部分もあるというのは、他の国にも共通して言えることだと思いますが。
ーー日本のありがたみ以外にも日常のありがたみを感じるようになったとのことですが、カンボジアでもそうしたありがたみを感じるきっかけになった出来事はありますか?
シェムリアップでちょっと散歩をしていたら、川の近くで子どもが2人遊んでいて。その子たちはすごく幸せそうに遊んでいたんです。そこには何もなくて、川でちょっといろいろ見たりとか散歩してただけなんですけど、すごい楽しそうで。すごいニコニコして近寄ってきてくれて。なんていうか、日本よりは全体的に発展していないんですけど、幸せそうではあるんですよね。
日々にありがたみを感じて、素直に自然に癒されて笑顔でいる子たちもいて。他人と比べることもなく、その子たちの物差しで幸せをちゃんと感じていて、それは物に恵まれていないからこそ心が恵まれているんだと思いますね。
ーーその子たちの物差しでって良いですね。
日本にいると、どれだけお金を持ってるかとか、どれだけいいものを持っているかとか、ステータスで幸せが決まるみたいな、そういった価値観があったりするけど、別にたくさん物を持ってても幸せとは限らないんですよね(笑)。だから、日本は恵まれているけどある意味恵まれていないなと思いました。
ーーそうした価値観が垣間見えるSNSとの関わり方は変化しましたか?
職業上SNSは必要なツールなので、他人から見れば前と比べてもやってることは同じに見えるかもしれないけど、キラキラして見える世界だけが大事なわけないじゃない、それがそのまま現実ではないよねというふうに思いながら見るようにしていますね。
あと20代はトレンドに惑わされたりとか結構していたけど、そこだけが大事なわけではなくて、もっと日々に目を向けるように、日常のありがたみを感じるようになったと思います。
笑顔でカメラを見てくれた少年たち